はい。こんばんは。私の遠い親戚(家系図を見ると遠いけどちゃんと繋がっている)に、曹洞宗の総本山である總持寺の本山貫首であったお方、石川素童禅師がおられました。この方が、現在の横浜鶴見にお寺を移されたと聞いて、前々から、一度は訪れたいと思っていましたので、行ってみることにしました。
横浜鶴見駅
前日は、横須賀観光をして、茅ヶ崎の東横INNに宿泊。真新しい東横INNで朝食をとって、JR茅ケ崎駅から、鶴見へ向かいました。鶴見駅は、京浜東北線なので、横浜駅で東海道線から乗り換えです。
鶴見駅は、JR鶴見線の起点の駅でもあって、とても立派でした。鶴見線のホームは完全に屋根で覆われていて、何か歴史を感じるホームでしたよ。
西口に出て「總持寺→」の看板に従って、バスターミナルの脇を通って大きな道路を暫く南下します。特に案内板もなく、どこが入口なのか分からなかったので、GoogleMapを見ながら、總持寺三松関を目指しました。鶴見大学の脇を通って数分歩くと、線路沿いの道路に、「曹洞宗大本山總持寺」の大きな看板が出てきました。
曹洞宗大本山總持寺
總持寺とは
總持寺とは、永平寺と並んで曹洞宗の大本山で、明治に石川県から横浜鶴見へ移転されました。正式名称は、「諸嶽山總持寺」。700年も前に、瑩山禅師によって開創された歴史あるお寺です。
能登半島にあった總持寺ですが、明治31年(1898)に大火によって、全山焼かれてしまったそうです。その当時の貫首であったお方、石川素童禅師が伽藍の復元とともに、大決断の末、横浜の鶴見が丘へ移転したのだそうです。この時の石川素童禅師が、私のご先祖のお墓があるお寺さんから出てきた家系図で、繋がっていました。ちなみに、うちは曹洞宗ではなく、同じく禅宗の臨済宗です。
とにかくゆかりのある總持寺ということで、息子を連れて、二人で参拝に行ってきました。
参道
まず、入口がでかい!なんとも想像以上の大きさに圧倒されました。入口には「祈感染症終息」の文字。大きな木に囲まれた石畳の緩やかな坂を上っていきます。
三松関
まだ朝8時頃だったせいなのか、人はまばらでした。
暫くすると、総門である「三松関」があります。こちらは、鶴見移転時から存在するそうで、重症文化財に指定されています。石川素童禅師に揮毫され、能登に、龍の形をした三本の松の木があったことに由来するそうです。
更に坂を上ると、三門ががあります。こちらは、比較的新しく昭和に建てられたそうで、鉄筋コンクリート造り。それにしても大きい。後から知りましたが、日本で一番大きいそうです。両サイドには金剛力士像がおかれています。
三門
三門をくぐると、ロータリーが現れ、瑩山禅師の像がありました。
百間廊下
総門と同じ「三松閣」と呼ばれる鉄筋コンクリートのとても大きな建物の脇を通り、「中雀門(ちゅうじゃくもん)」を通り、仏殿へ向かうのですが、この中雀門から伸びる「百間廊下」は登録有形文化財で、板の間がピカピカに輝いています。毎日朝昼雑巾がけがなされ、ピカピカなんだそうですよ。看板には、これはたゆまぬ精進の結果であり、ワックス等は一切使っておりません。雑巾がけに勝るワックスはございません。ということが書いてありました。素晴らしいですね~。本当に見事です。
大祖堂
大祖堂は、昭和40年竣工で、鉄筋コンクリート造りの巨大な建物です。一般的にいわれる開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿ということです。内部の千畳敷の広さは圧巻です。こちらでしっかりと参拝させていただきました。
香積台(こうしゃくだい)
香積台と呼ばれる建物が総合受付となっていて、こちらで記念品やお土産、御朱印を頂くことができます。中に入ると、中央廊下のつき当たりに、日本最大といわれる木彫の大黒尊天が奉安されています。もちろんここの廊下も雑巾がけによって、ピカピカです。
大黒様にお参りをした後、御朱印とお守りを頂きました。御朱印を書いていただいたのが、入山してまだ6ヶ月という修行僧の方でした。まだ若そうなお方でしたが、丁寧で心のこもった御朱印を頂けて、とても嬉しかったです。
お土産には、最近ペン字を習っているので、一筆箋と、仕事のお守りをい頂きました。また、令和6年4月には、瑩山禅師の700回大遠忌奉修法要があるということで、散華を頂きましたよ。
石川素童禅師というお方を知ってから、20年近く経ち、ようやく訪れることができました。また子供と一緒に訪れることができたことも良かったかな~。子供はあまりピンと来てなかったみたいですが、自分に縁のある地に来れたことに感謝ですね。