三陸旅2日目、昨日訪れた旧釜石鉱山展示室に続き、田老の巨大防潮堤を中心に、津波と震災の爪痕を見ていく。
実は、子どもの頃から巨大防潮堤の存在を知っていた。いつかこの目で見てみたいと思っていた場所だった。それが、東日本大震災の津波であっさりと越えられ、壊れたと知ったときは、とてつもない波が来たのだと思った。
三陸花ホテルはまぎく
宿泊したのは「三陸花ホテルはまぎく」。ここは、岩手県大槌町。この大槌町という名前も津波の被害がおおきく、繰り返し聞いた地名。
実は今回宿泊のホテルも、東日本大震災で被災し、もちろん津波が来ている。津波が3階まで達したという。私が宿泊した部屋は、5階でかろうじて水には浸からなかった部屋だそう。
現在のホテルは、とてもきれいで部屋もオーシャンビューで広々として清潔で、料理もおいしく、リーズナブルでとても満足だった。そして、よくここまで復興できたなという印象。


宿泊した部屋から、ちょうど日の出が見られました。穏やかな海で絶景でした。

朝ごはんの前に、ロビー前のテラスに出てみた。ここは完全に水に浸かった場所で、現在はバーベキュー場?の様なテラスは、建物の骨格だけが残っている。ホテル自体が高台に立地しているので、この3階まで津波がきたというのは想像を絶する。

そして、ここは来るまではしらなかったのだが、平成九年に、平成の天皇皇后両陛下(現在の上皇様上皇后様)が宿泊されたホテルだそう。平成の架け橋という碑とお詠みになられた句の碑がありました。両陛下もさぞ、心を痛めたことでしょう。

ホテルの目の前が「浪板海岸」とよばれる海岸で、三陸ジオサイトの一つ。こちらも震災で50cmを沈下し、砂浜が壊滅だったそう。今はだいぶきれいなった。
宮古市田老地区 田老の防潮堤
ホテルのある大槌町から、快適に整備された復興道路・国道45号線を北上し、40分ほどで、岩手県宮古市の田老地区に到着。
復興道路は無料高速のような造りで、三陸の移動には車がとても重宝する。おかげで、三陸の街と街の行き来も、距離の割には驚くほど早い。
新旧田老の防潮堤
最初に車を降りたのは田老漁港。漁港のすぐ横に、垂直に立ち上がる巨大な防潮壁。
分厚い防潮扉は、無機質で、重い。守るために作られた構造物だということが、ひと目で伝わってくる。

近くには銘板があり、防潮扉の重量は11tだそうだ。
防潮扉の脇には、人が逃げるための階段が、ちゃんと用意されている。


防潮堤の内側に入ると、倉庫のような建物やプレハブが並んでいる。海は、まったく見えない。あるのは、圧迫感のある壁だけ。

さらに奥へ進むと、もう一つの防潮堤が姿を現す。これが、昔から「万里の長城」と呼ばれてきた、田老の防潮堤。
壁面には「防堤岸海老田」と刻まれており、ここが長い年月をかけて築かれてきたと歴史を感じる。

階段を上ると、長い堤防が続いていた。
津波は、この堤防のはるか上を越えていき、結果的には、被害を防ぐことはできなかった。
ただ、南側へ続く堤防は壊れず、想像以上にいい状態で残っていることに驚いた。


漁港側は、先ほど見た垂直の防潮壁に囲まれており、まさに城壁に守られた地区だ。

少し車で移動。漁港側からは、高架道路でも堤防を超えられるようになっている。
新しい堤防の上に立つと、堤防の壁が湾の先の方まで続いているのがよくわかる。
穏やかな田老湾もよく見える。

震災後に整備された新しい防潮堤は、旧堤防よりも高く、傾斜もより緩やかな造りになっている。
これは津波の力を逃がすための構造で、「緩傾斜型防潮堤」と呼ばれている。

道の駅たろうに展示されていた同地点の写真では、旧防潮堤が無残に破壊されていた。津波の破壊力の凄まじさが、はっきりと伝わってくる。

たろう観光ホテル
たろう観光ホテルは、津波の高さと破壊力を実物で伝え、防災の教訓を後世に残すため、震災遺構として保存されている。
建物は4階まで浸水し、2階までは壁が失われ鉄骨がむき出しの状態。目の前に立つと、津波の恐ろしさを実感させられる。


津波到達プレート
たろう観光ホテルから約500mほどの漁港の傍らに、津波到達プレートがある。
横に停まっている車と比べると、その高さが際立ち、改めて津波の規模を実感させられる。


- 東日本大震災(2011年)の津波到達高さ
約17.3メートル - 明治三陸津波(1896年)の津波到達高さ
約15.0メートル - 昭和三陸津波(1933年)の津波到達高さ
約10.0メートル
ちなみに、この津波到達プレートは、東日本大震災の前から、津波の記憶を後世に伝えるために設置されていたもの。
過去の最大到達点として刻まれてきた高さを、2011年の津波はさらに更新してしまったということになる。
三王岩(さんのういわ)
近くに三陸ジオパークの構成資産のひとつで、「 三王岩」 と呼ばれる名勝があるので、立ち寄ってみることに。
三王岩へ向かう途中、防潮堤の上に上がることができたため、そこから田老漁港を眺めてみた。

漁港の背後には、高さ10メートルを超える防潮堤が連なり、田老の街がぐるりと囲われている様子がよく分かる。


三王岩(さんのういわ)は、海中から突き出した三つの大きな岩が特徴的な景勝地。
その姿が、並び立つ三柱の神、あるいは王が並んでいるように見えることから、「三王岩」と呼ばれているそう。
展望台からは、ちょっと木が邪魔で、あまりよく見えなかった。
下まで降りれば、もっと迫力のある景色が広がっていそうだが、今日は時間の都合もあり、ここで撤退することにした。
道の駅たろう「たろう潮里ステーション」
そして最後に、国道45号沿い、田老の街の中心部にある「 道の駅たろう」 に立ち寄った。
併設されている「 たろう潮里ステーション」 では、震災直後の写真が数多く展示されており、田老が受けた被害の大きさを、改めて知ることができた。

実際に防潮堤や震災遺構を見たあとに、当時の写真を見ることで、風景と記憶が重なり、理解がより深まる。田老を訪れるなら、ぜひ立ち寄っておきたい場所だと思う。
そして、ここで知ったのが、ダムカードの一種である「水門・防潮堤カード」の存在。
どうやらこの三陸一帯には、「水門・防潮堤カード」なるものが配布されているらしい。
とはいえ、ここでは、摂待水門カードと神林海岸防潮堤カードをゲットできた。



まとめ
ということで、田老の防潮堤から、たろう観光ホテル、津波到達プレート、三王岩展望台、道の駅たろうの順に回ってきた。

子どもの頃から名前だけは知っていた、田老の巨大防潮堤。
実際にその上に立ち、津波到達プレートを見上げ、震災遺構となった建物を前に、自然の力を強烈に感じた。
津波をこれだけ想定していた街でさえ、それを遥かに超えてきた東日本大震災の津波。
防災に「絶対」はないことを教えてくれているよう。人が築いてきた備えと、それを越えてきた自然の力。その両方を、確かめることができた。
次は、浄土ヶ浜へ


