2025年11月、JALマイルの有効期限が迫っていた。このまま失効させるのももったいないので、急遽決まった今回の東北旅。
行き先は岩手・花巻空港。そこからレンタカーを使って、三陸方面へ向かう旅にした。
1日目は午後便での到着ということもあり、レトロ感がたまらない「釜石鉱山展示室」に絞って観光。
名古屋から岩手花巻へ
FDA フジドリームエアラインズ
県営名古屋空港からFDAで岩手花巻へ。
今回の飛行機は、午後12時出発便なので、出発はゆっくり。
FDAは全便JALのコードシェアとなっているため、マイルで県営名古屋からも全国各地へ飛ぶことができる。この日は黄色FDAに搭乗。飛行機旅はテンション上がる。

小型飛行機だが、ジェット機でいつもとても快適な飛行機。毎回静岡茶とシャトレーゼのお菓子を出してくれる。


昼間の便で天気も良く、機内からの景色は抜群だった。離陸直後には、眼下に木曽川と犬山城。
見慣れた景色も、上空から見るとまた違って見える。
さらに北アルプスの立山連峰、後立山連峰が一望でき、これが本当にめちゃキレイだった。


約1時間で岩手・花巻空港の上空へ。昼出発でも昼に着く。飛行機旅最大のメリット。
岩手花巻空港
午後1時30分。岩手・花巻空港到着。

到着後すぐにレンタカーの手続きができるよう、あらかじめJALでレンタカーを予約しておいた。
さらに搭乗席は前方を選択。飛行機を降りたら、そのままレンタカーカウンターへ直行し、素早く手続きを完了。ロスタイムを最小限に抑えてレンタカーへ乗り換え完了。
一路、ほぼ無料の釜石自動車道を東進。最初の目的地である「釜石鉱山展示室」を目指す。

花巻空港からおよそ1時間。最寄りのインターチェンジ、釜石仙人峠ICに到着。
釜石鉱山展示室(TESON)/旧釜石鉱山事務所
午後2時40分頃、東北旅弾丸一泊旅の1日目のメイン「旧釜石鉱山事務所」に到着。

旧釜石鉱山事務所/釜石鉱山展示室
旧釜石鉱山事務所は、かつての釜石鉱山の管理拠点として使われていた建物。現在は、釜石鉱山展示室として公開されている。


入口を入ると、二人のスタッフの方がお出迎え。さっそく入館券を購入し、中を見せてもらう。

それにしても、子供の入場券が275って、ちょっと少なすぎないか?こんなに見応えのある施設なのに、、、、
1階 昭和の事務所
この時間の来館者は、私たち家族3人のみ。気さくで親しみやすいスタッフの方がガイドをしてくれて、とても面白く見学することができた。

最初に驚いたのが、手廻し計算機は、私も今回初めて目にした、物理的な計算機。
実際に触らせてもらうことができた。数字を合わせ、ハンドルをくるくると回すと、しばらくして計算結果が表示される仕組み。おもしろい。

次は、硬貨計数機と硬貨枡。硬貨計数機は、昔、駅などでよく見かけた記憶がある。
最近はキャッシュレス化が進み、こうした機械も、これから先、ものすごい勢いで姿を消していくのだろう。伝票も全て手書き。

次は、和文タイプライター。子供のころ、アルファベットのタイプライターは家にあったけど、和文タイプライターは初めて見た。
ここから漢字を探すのが、めちゃ大変そう(笑)。しかも、和文タイプライターは一度打ち間違えると、基本的には最初から打ち直し?当時の事務作業が、いかに大変だったかがよく分かる。

次に目に入ったのは、手書きの帳簿。当時使われていたものが、そのまま残されている。
これは、おそらく一日の生産日報だろうか。ノートには数字がびっしりと書き込まれ、しかも一文字一文字がとてもきれい。これを毎日、間違いなく計算して、書くって、当時の事務仕事の大変さが伝わってくる。

一階のフロア全体を見渡すと、カウンターを境に、廊下側と事務所側が分かれていて、銀行の窓口のような造り。
このカウンターには、当時はガラスの仕切りが設けられいて、給料日になると、ここで現金が手渡されていたそう。
話を聞いていると、組織としての重みや、企業規模の大きさが実感できる。「昭和の大企業」らしい空間だった。

2階 鉱山関係の資料室
2階は鉱山関係の資料室になっていて、ギャラリー、学校や病院、電話交換室など、鉱山で働く人々の生活を支えていた施設に関する展示が数多く紹介されている。

ギャラリーには、絵画や彫刻が展示されている。
「雨上がりの鉱山」という絵画を見ると、昭和の時代まで、斜面にびっしりと建物が建ち並んで、当時の鉱山のにぎわいが伝わってくる。

鉱物室
次は、釜石の主役「磁鉱石」。展示室には、実際に採掘された磁鉱石が並び、しかも触ることができる。
さらに磁石も置かれていて、石に近づけると、しっかりとくっつく様子を体感できる。この石から鉄が生まれるのかと、実感がわく。


次は診療所。
鉱山には、働く人だけでなく、その家族も暮らしていたわけで、医療体制もある程度は整えられていたのだろう。
展示室には当時使われていた医療器具も残されている。ただ、その中にはペンチやノコギリのような器具がある。鉱山という現場を考えると、大怪我の治療も日常的に行われていたのかもしれない。。。そんな想像が頭をよぎる。


電話交換室
昭和まで使われていたというだけあって、私でも仕事柄見覚えのある設備もある。

端末はダイヤル式の黒電話が中心で、受話器の形も含めて、いかにも昭和。
さらに意外だったのが携帯電話。この時代にすでにあったらしい。鉱山ならではなのかもしれないが、サイズはかなり大きいので、よく戦争映画で見る無線機みたいな感じかな。
昭和28年頃の交換手と思われる、若い笑顔の女性の写真が印象的だった。電話交換手は、当時の花形の仕事だったのかもしれない。

鉱山の展示室
後は鉱山関係の展示。削岩機や坑内トロッコのレールは、明治時代のカーネギー製。釜石では、京浜、阪神に続いて、日本で3番目に鉄道が敷かれたそう。それほど鉄が重要で、ここが日本の近代化を支えていたことがわかる。


この石の塊は、大橋高炉炉底。鉄の製造工程でできる塊。この事務所棟のすぐ脇にあった高炉の炉底だそう。



旧釜石鉱山跡
旧釜石鉱山事務所の見学を終えたあとは、外を散策。クマ出没のニュースが気になるところだが、スタッフのおじさん情報では、この場所ではクマは出ないらしい。また敷地がかなり広いので、車で回って大丈夫とのこと。
まずは事務所前に、踏切や機関車など、鉱山を支えていた鉄道関係の残置物が並んでいる。


そして、山肌にそびえるコンクリートの構造物。かつては多くの建物が斜面にへばりつくように立ち並んでいた場所で、今は基礎だけが残っている。その姿は、コンクリートの要塞のようで圧巻。この写真を見て、ここに来たいと思ったのが、今回の訪問のきっかけになった。


広く平らな土地は、かつて学校があった場所。今は人の気配もなく、とてもひっそりとしているが、ここに多くの人の暮らしがあったことが想像できる。

学校跡の奥には、ロックフィルダムのような巨大構造物。高さ約120メートル。ダムではなく鉱山の堆積場で、上部は現在メガソーラー発電所になっているらしい。


ここからは、JRの陸中大橋駅の方へ向かう。メインの道の両側には、かつて街だったのだろうと思わせる、石垣で組まれた段々状の平地が整然と続いている。

陸中大橋駅
陸中大橋駅に到着。駅はとても静かで寂しさを感じる。駅前には新しめの郵便局が建っているが、人の気配はほとんどない。一日何人の乗降客がいるのだろう、、、

無人駅のホームからは、また圧巻の遺構が見られる。鉱石を貨車に積み込むための巨大なホッパーが、2か所に残されている。

毎日のように貨物列車が鉄鉱石を運んでいたであろう場所。
静まり返ったコンクリートの巨大構造物には、不思議と惹かれてしまう。

いや~なかなかの昭和感だった。1時間半ぐらい旧釜石鉱山をじっくり見学できた。もっと見ていたかったが、家族が次へ行きたそうなので、釜石駅の方へ向かう。
釜石駅
さて、釜石駅前に来た。まだ4時なのに、だいぶ日が暮れて暗い。秋の東北は、16時を過ぎると一気に夜。

駅前は、想像していたよりも都会的で、立派なロータリーがある。そして駅の向かい側には、日本製鉄の巨大な工場群が並んでいる。まだまだ現役の鉄鋼の街だと感じた。
そしてロータリーの一角には「大島高任」の銅像。
パンフレットによれば、大島高任は「小さく生んで大きく育てる」という考え方で、日本の近代製鉄を切り開いた人物。釜石で日本初の洋式高炉による製鉄に成功し、この街の礎を築いたという。
今でも感じる0→1の大変さ。時代が違っても、共通するものがありますね。

そして、東北で忘れてはならないのが東日本大震災。ここ釜石の街が津波に飲み込まれる映像を、何度も目にしてきた。その街に実際に降り立つと、やはり感じるものがある。駅前には「復興の鐘」が設置されていた。
明日は、震災の爪痕もしっかりと見ていこうと思う。
まとめ
今回の東北旅は、JALマイルの有効期限がきっかけで急遽決まった旅だったが、結果的にとても濃い1日目となった。
釜石といえば、日本製鉄の街、そしてラグビーが強い街というイメージ。
実際に見て、旧釜石鉱山では、昭和の空気を色濃く残す事務所や数々の展示、そして屋外に残る巨大な遺構をみてると、かつて多くの人が働き、暮らしていた街の痕跡を、静かに感じることができた。
これほど見応えのある施設にもかかわらず、観光客があまり多くないのが不思議に感じるほど。釜石を訪れる機会があれば、ぜひ立ち寄ってほしい場所でした。
現在は、無人駅や静まり返った遺構からは、少し寂しさも感じられるが、なんともいい哀愁漂う街だった。

そして、釜石駅前に立ち、東日本大震災の記憶と向き合う。映像で見てきた街に実際に降り立つと、やはり感じるものがある。復興の鐘を前に、この街が歩んできた時間の重さをあらためて思った。
明日は、震災の爪痕と復興の今を、もう少し深く見ていこうと思う。



